1歳を過ぎても伝い歩きもままならない長男。
もちろん発語も(喃語はあったものの)一向に進みませんでした。
それに比べ周りは成長していく…
私が就労していたので、0歳児から保育所でお世話になっていました。身体は健康そのものでしたが、発達について日に日に気がかりな事が増えていきました。
今、あなたはどうですか??
全然、目が合わへんやん⁈どこ見てるん?何が見えてるん?
ママってわかってる?呼んでも振り向かないのは、人見知り?
異食ってどこまでが正常なん?めっちゃイロイロ食べるやん…
全然寝れへんやん?
おかしくない⁈
おかしいよな?
はぁ…
一度こう思ってしまうと、もうなかなか誰にも相談出来ませんでした。
あなたは今、そう思っていませんか?思っていますよね⁇
私はその頃から発達障がいを疑い始めていました。
仕事が終われば、その足で保育所へお迎え。
帰宅すれば、朝ごはんの散らかったままの食器に保育所の洗濯物に晩御飯に…ただただ手がかかる日々を、少しでも自分の体を休めたくて毎晩お酒を流し込み無理やり寝る。
夜中に目が覚めるタイミングで止まっている洗濯機から洗濯物を出して干す毎日。
よくパンクしなかったものだ。(笑)と、言うか実際にパンクしているのかも感じる余裕さえ無かった、と言う方が正しいのかもしれません。
良くも悪くも、母は強し、そんな状態なのでしょうか?我ながらよく生きてきたものだ(笑)
この時、長女は年々少(年少のもう一つ下)の2歳児、支援枠でお世話になっていました。
実は長女も発語が遅く周りの子とのコミュニケーションが取りにくいため、間に先生が入って生活を促してもらう支援をお願いしていました。
なので双方で心配は増える一方でした。どいつもこいつも…(笑)
また、ここまでの育児で悩んでいたのはもちろん私だけではありません。
旦那さんとの衝突もメチャクチャしてきました。
私の中では、長女と長男の❛保活❜をするにあたり、やはり長女が発語が遅いということが気がかりでした。
もちろん❛保活❜も初めてなので、何からしていけばいいのか、先ずはどこに行ったらいいのか、など心配事だらけでしたが、とりあえず自分で出来るところまで進めていきました。
すると…
発語が無い長女(当時2歳)は支援枠でしか入園できない…😨
希望していた保育園には支援枠がなくて入園できない…😨
自宅から一番遠い保育所しか選択肢がない…😨
など、私は役所と何度も情報のやり取りを経て『支援枠』という現状にたどり着いたのですが、仕事に集中していたパパには
支援枠しか保育所入られへんやって…
へ?なんでやねん⁈
と、いきなり支援枠宣告を受けた感じだったのかもしれません。
そこに引き続き、息子への発達障がいの疑い。
たまったもんじゃありませんね(笑)
育児がきっかけで、相手への思いやりや考え方を解ろうとする余裕も無かったように思います。
この頃は未だ『療育』というワードは疎遠でしたが、後に家族のような存在になります(笑)
今思えば、私がもっとやれることがあったのかな?と思いますが、心身ともにバランスが崩れているのは自分でもわかっていました。
が…
原因を探せるわけでもなく、ただただ目の前のことをこなして一日が終わる…これだけが精一杯でした。
でも、今はそれはそれで良かったと思ってます。
次回へ続く(^^)/