児童福祉施設
息子の進路(年少~)
年少クラスからの進路について先生方や夫婦でも何度も何度も話し合いました。
年少クラスからは担任の数がグッと減り、今までと同じように手と目をかけてもらうにはやはり無理がある…。
年々小の時に市の児童福祉施設に何度か親子で体験へ行かせてもらいました(週に1度、親子で参加する日がある)。
そこは肢体不自由の子どもちゃんに療育を行う園と、知的や行動面において支援が必要な子どもちゃんの通所施設が合わさった総合通園センターでした。(以下、療育園と記します)
初めて行った時やはり目に入る光景や耳に入って来る声など何もかもが刺激的でした。
が、肝心な息子はというと、とてもゆったりのびのびと過ごしていました。こんな穏やかな笑顔を見ると、もう迷いは消えました😊
そこの療育園では、よほどの危険行為ではない限り、行動の制限はしません。
大まかな一日の流れはありますが、最初は安全な場所だという事を解ってもらうためか、本人の気の向くまま行動をさせてくれ、そこに先生方が付き合って行動観察をしてくれます。
何度かの体験を経て、このまま当時の保育所に居て進級(年少に)しても息子にとっては時間の無駄になるのでは…?自分は何をしてあげられるのか…?と考え、結果的に年少から療育園に通わせることになりました。
それからというもの、私にも家族にも沢山の修行のような出来事が立て続けに起こりました(笑)
年々小の最終日(2歳児)。
当時の保育所の担任の先生と涙・涙のお別れ😭
決して自閉症などの専門知識が全てでは無い。
息子に如何に寄り添い、息子の事を知りたいと願い、息子に心を開いてもらい、いかにフラットな目線で物事を捉えるか?
…ということが分かったのは息子が小学校に上がってからの話です🙏
ただこれは大切な人を大切にするという、とてもシンプルな事ですが身近な存在な人ほど案外出来てない方は多いのではないでしょうか?
修行
体験で親子保育に参加したときに隠し撮りした写真(笑)
自分の足でしっかりと歩いて散歩しました☺
当時、年々小(2歳児クラス)で、発語はほぼない状態。
保育所での散歩では、かなり『集団』を意識した行動になるので、『短距離をみんなと一緒に散歩する』といった設定保育では体力の消耗はあまり無く、ストレスの増加しかありません。
その上、お昼寝も相まって体力がかなりあり余るので、夜の寝つきも悪く負のループです(笑)
ただ、体を動かす(散歩や散策)事が大好きなので親子保育に参加させてもらった日は、不眠も無くしっかりと眠れていました。
当時の療育園
- 毎週水曜日は親子保育に参加(病気以外は絶対参加)
- 父母会(保護者会みたいなもの)には必ず所属し参加する
- 行事(園内行事・父母会行事共に)には必ず参加
- 月に1度の遠足
- ⇧上記のように、予定が多くなる事と療育園のスケジュールが急遽変更することも多々あるため、仕事は原則として禁止
- その他諸々…
等という、今のご時世では中々の厳しい条件のもとで当時の療育園は成り立っていました。
ただ、この決まり事の全ては子どもに集中する為にあるものでした☺
そして散々悩み迷いましたが、家族会議の末にここの療育園に入園を決めました。
修行のような1年目
当時の我が家の状態は、長女が年長(5)・長男が年少(3)・次女が年々小(2)で、私(ママ)はパート勤めでした。
仕事は原則として禁止されていたのですが、私の生きがいでもあり、息抜きでもある仕事を辞めるという選択は『絶対にありえない 』と言い張り、保育所や療育園との話し合いの結果『仕事と療育園を両立する。自分が無理だ、と判断したら仕事は辞める』と約束をしたうえで入園を希望しました。
役所には『過去に前例がない』と何度も言われましたが、私からすれば『だから?前例がないのなら、今作ればいいのでは?』の一択でした☺
が、しかーし!!!
当然と言えばそれまでですが、息子が環境の変化でのストレスからパニック状態になることが増え自傷行為や不眠もどんどん出てきて、夫婦ともにパニックでした😖
パートの仕事はドタキャンするような影響は出ませんでしたが、それでも出勤日や時間の調整は職場にかなりのわがままを聞いていただきましたし、ナイーブになっていた時も無理せずにそっとしてくれました。
今のこの職場じゃないと、きっと止めざるを得なかったと思います。
そして息子に起こる問題点や迷惑行為も、1年・2年先に療育園で経験している先輩がいるので1つ相談すると、『あったあった!そんなん!!』『今はそんな時期なだけやで!!』『大丈夫やって~‼』と幾度となく励ましてくれ、私も息子もすごく救われました。
今となっては息子のおかげでたくさんのご縁があり、たくさんの方と出会えていることに本当に感謝しかありません✨
次回へ続く😊